援むすび山口が未来に選ぶ「足音」とは
「やつらの足音のバラード」──
1974年、アニメ『はじめ人間ギャートルズ』のエンディングとして放送されたこの曲。
一見、ユーモラスなアニメの後に流れるこの静かな曲は、実はとても哲学的で、奥深い。
私はこの歌詞を、いま改めて読み返したとき、援むすび山口の活動に深く重なるものを感じました。
この歌が語るのは、自然の中に人間が現れた意味。
そして、人間の足音がどんな未来をつくるのかという問いです。
援むすび山口は、「地産地消」を単なる経済活動としてではなく、自然と人とが共に生きる知恵と選択の連鎖として捉えています。
ここでは、その想いを「歌詞」とともに重ねてみました。


1. はじまりの無垢な世界
🎵 なんにもない まったくなんにもない
🎵 生まれた 生まれた 星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた
すべてのはじまりは、静かで澄んだ世界だった。
地球──そして山口の海や山、大地にも、誰のものでもない命の舞台が広がっていた。
人の営みなど、まだ何ひとつなかった。

2. 命の芽吹きと風の大地
🎵 星には夜があり そして朝が訪れた
🎵 なんにもない 大地に ただ 風が吹いてた
夜が明け、朝が来て、風が吹く。
まだ誰の声もしないその大地に、やがて種が落ち、芽が出て、命が始まった。
自然が自然のままに、ゆっくりと世界を形づくっていく。

3. 恵みの循環と時間の蓄積
🎵 草が生え 樹が生え 海にはアンモナイトが生まれた
🎵 雲が流れ 時が流れた 流れた
命はめぐり、自然は育ち、海と山に恵みが満ちていく。
何千年、何万年という時の中で、
この土地は「育つ力」を蓄えていった。
それは、いま私たちがいただいている地元の食材の原点でもある。

4. 歴史の変化と自然の静けさ
🎵 プロントザウルスがほろび イグアノドンがさかえた
🎵 なんにもない 大空に ただ 雲が流れた
いくつもの命が現れては消えていく中で、
自然は黙ってそれらを受け止めていた。
山口の空にも、ただ雲が流れ続けていた。
すべては移ろいゆく──
でも、大地はそこにある。
5. 試練の時代と命の知恵
🎵 山が火を噴き 大地を 氷河がおおった
🎵 マンモスのからだを 長い毛がおおった
自然の厳しさに、生き物たちは知恵と工夫で応えた。
その姿は、いまも受け継がれている。
山の恵みを守る農家、海の命を調整しながら獲る漁師、
素材を生かしきる料理人、つくる人と使う人を結ぶ企業たち。
その知恵こそが、未来への答えかもしれない。

6. やつらの足音──人間の登場と責任
🎵 なんにもない 草原に かすかに やつらの足音がきこえた
🎵 地平線のかなたより やつらがやってきた
“やつら”がやってきた──それは人間。
自然の恵みに支えられながらも、
過去には山を削り、川を汚し、海の命を奪いすぎてしまった時代もあった。
でも、足音は変えられる。
農を耕す音、漁を整える音、商いの賑わいの音、
それを“むすぶ”者たちが今、各地にいる。
援むすび山口がつなぐのは、
生産者の声、消費者の選択、企業の志──
そのすべてが、壊すためではなく「守り、育て、渡す」ための足音だ。

結び:未来のために、足音を選びなおす
私たちはもう、便利さだけを追いかけてはいけない。
過去の過ちを繰り返すことなく、
いま、この土地で「正しい足音」を選びなおす時が来ている。
耕す音、料理する音、食卓を囲む笑い声。
そのすべてが、地産地消というやさしい循環へとつながっていく。
未来の子どもたちのために──
私たちは、足音を選びなおす。
